2018年3月            

3/15 銀河鉄道の父 門井慶喜著 講談社

(本)


言わずと知れた直木賞受賞作です。

大好きな宮沢賢治ですが、一部の賢治信者たちが造り上げてしまったイメージにはちょっと違うなぁという違和感があります。
若い頃に賢治ゆかりのあちこちを何度も訪れて心の中にできあがっていたイメージのまま宮沢賢治記念館などその後にできた施設に行くと違うだろ感がふつふつ。
それどころかいくつかの賢治ゆかりの地もすっかり小洒落たサインや看板で変成されてしまってがっかりどころか悲しい気分になります。

「銀河鉄道の父」はそんな今時の賢治像、つまり実像にあとから小綺麗に上塗りしてしまったその厚塗り塗装を丁寧に剥がしてくれるような小説です。

賢治が生前、つまみ食いのようにあれやこれやのめり込んでは長続きせずにいたのを見て、町の人たちが金持ちの倅の道楽と陰口をささやいていたという話はむしろそっちの方がまっとうな見方だよなぁという思いはあります。
生涯の5パーセントくらいが文学の天才だったほか人生のほとんどは世間知らずのダメ倅だったような気がしています。賢治の父政次郎が抱いた愛情に覆い被さる心配と不安がおかしいほどにわかります。
その賢治のたった5パーセントくらいを占める詩や童話--子供の頃に初めて読んだ風の又三郎から始まって若い頃にはさっぱり理解できなかったたくさんの詩や最近やっとその悲しみが解りかけてきた童話--が私たちにいつも光を射してくれているんですけどね。

いま、ぽつりぽつり宮沢賢治全集を読み直していて3順目。未完草稿から書簡に至るまでぜぇーんぶ読みます。10年おきくらいなので読む度にまたこっちも無駄な日々を重ねていてその時々で理解も違ってきます。
でも読む度に自分の理解を超えて首をかしげる作品の方がまだまだ多くて、このまま理解できぬうちにこっちが人生終わっちゃう気がします。時間が足りない(ぽつり)。
時々、時々ですが、賢治さん、てきとーに殴り書きしてただけなんじゃないのか、それを後世の人たちが崇高な文学として必死に理解しようとしてるって滑稽な図が思い浮かぶこともあったりして。いえ、ほんの時たまそんなことがふっと頭の片隅によぎるだけですけど。(^_^;