2016年9月            

9/27 さらば秋葉原
(雑記)


久しぶりに秋葉原に行って来ました。
材料はネットで探す時代になって今では秋葉原で調達することはまずなくなってしまいましたが、その昔は仕事で使う材料は試作などの少量調達ではほぼ秋葉原頼みでしたし、技術の新しい潮流も秋葉原で情報を得たものです。

駅すぐのガード下のラジオストアと中央通りを渡ってすぐの東京ラジオデパートは電子少年のメッカでした。店のおやじのつっけんどんにもめげず1個買いで店巡りをしていた少年たち、きっと大人になって電子立国日本を支えたはずです。
世は移り、少年たちはハンダゴテを握ることをやめてキーボードを叩く方へ流れてしまい、もう部品を探してつっけんどんのおやじに食い下がる少年もまず見かけなくなりました。
それどころか、なんと部品屋の総本山たるラジオストアがなくなっちゃっいました。どんな風になっちゃったかと思い行ってみたら電子商社の事務所や展示スペースになってましたね。悲しいですね。秋葉原の変貌の象徴的なできごとです。そうか、ラジオストアがなくなっちゃったのか。

そもそも秋葉原デパートがなんたらカタカナのショッピングマートみたいのになっちゃったし、思い返せば真空管と電線の街からエレクトロニクスパーツの街へ、さらに量販店とパソコンの街に変貌したと思ったらいつの間にかメイドがチラシ配ってるような街になって、今やそれらひっくるめて観光の街だからね。

永く取引していたことのある部品屋がとっくに次世代になって、久しぶりに行ってみたら「親の介護のため休業」の張り紙がありました。介護のためってまるっきり個人的なことも店頭に張り出しちゃうのが戦後闇市の名残が未だに痕跡としてわずかに匂ってていいね。そっか、あのいろいろ世話になった夫婦も介護か。

すっかり変わってしまった秋葉原ではもう勝手知ったるわが街ではなく、うろうろおどおどしてしまうよそ者だね。

さらば秋葉原。
そうだ、言っておかなくちゃならないことが。秋葉原は秋葉原でアキバなどとと呼んじゃダメだ。