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  名草・駒戸山城跡

幻の山城跡
足利の北部、最奥に位置するのが名草、旧名草村です。弁天様や名草巨石群はよく知られています。
10年以上前になりますが、名草を馬蹄形に取り囲む尾根をぐるっと歩いたことがあり、その時、尾根上に自然の地形とは思われない平坦地とそれを囲む土塁に出くわしました。ミヤコザサに覆われていたのかあるいは草地だったのか樹木はなく、飛駒の里が一望でした。その後、2,3年して、林道に城趾を指し示す案内板がつけられ、なるほど砦のような山城の跡だったのかと納得したわけです。記憶違いでなければ名草城あるいは名草山城と記してありました。しかし、その案内板もいつのまにかなくなり、そのことも忘れていましたが、最近名草城がそことはまったく別の場所であったことを知り、ではあれは一体何だったのかと気にかかりだしました。では、とえりあえずはもう一度登ってその場所が記憶通りなのか確かめてみようじゃないか。正月休みで鈍った体をびっくりさせるにはちょうどいい藪山です。

(一般ハイキングコースではありません。)
【日程】 2006年1月4日
【山域】 安蘇
【天候】 曇り
【地図】 1/25000番場
【アクセス】 足利の中心から北へ走ってどん詰まりが名草です。巨石群の案内を目安に行けば間違うこともありません。
名草弁天、名草巨石群の入り口には駐車場と店がありますが、それからさらに奥に入山林道(通称名草林道)をたどります。
左に小さな砂防堰堤が見えたら行き過ぎです。
【駐車地】 写真の林道分岐に駐車可能。残念ながらそこはゴミ捨て場状態です。
林道はすぐ先に車止めのチェンがかかっています。
【コース】 駐車地 - 林道終点 − 植林地 − 尾根 − 駒戸山城遺構 − 南支尾根 − 作業歩道 − 名草林道− 駐車地
実行程約2時間

     ありゃ、遺構の平坦地と土塁は植林されていました

支尾根の岩場

     飛駒の里を見下ろす・奥は丸岩岳と熊鷹山

【メモ】 林道から植林地を登って一気に尾根へ:
駐車地から林道が山懐深く延びていますが、前方に植林地を見ると終点広場です。林道はそのまま歩道となって523m峰のあたりへ突き上げていますが、右方向へも歩道が分かれていましたので効率よく登れそうなそちらをルートに採りました。杉植林地の作業道のようです。下刈りもままならないようで植林地だかカヤトの原だかわからないような状態です。直線登りで一気に高度を上げると名草川をとりまく一帯の展望が開け、やがて道も電光を切って登りやすくなりました。途中から植林地の樹種も樹齢2,3年の檜に変わり快適な斜面となります。
道が消えるとほどなく稜線に飛び出します。岩と赤松の気分の良い尾根です。飛び出した地点は523m峰の南の小ピークあたりとなります。10年ほど前に歩いたときにはうっそうとした杉植林地でしたが、伐採、植樹のおかげで当時よりずいぶん明るい雰囲気になりました。記憶では山城の遺構はこの南東の平坦な尾根のはずです。
しかし、ここから藪が始まりました。ツツジが多く花時季にはきれいかも知れませんが、冬場は顔を撥ねられて難儀なだけです。左手の飛駒側が杉植林地ですからややそちらに寄りながら歩くしかありませんが、間伐のあとがそのまま倒木となってこちらもけっこう難儀します。道跡はかすかに現れたり消えたりですが尾根ははっきりしています。

呆然、遺構はすっかり木々の中:
土塁をコナラが覆っていました
尾根が小広くなって、記憶ではこのあたりだが、と探すと確かに見覚えのある地形。しかし、かつてミヤコザサか草地か広々としていた平地は檜の幼樹林となっていました。遺構に植林しちゃうか。しばし呆然。
恰好の砦と思わせた飛駒側を見通す展望も木の間越になっていました。10年の変貌はすごいものです。歴史的価値の少ない山城なのでしょうか、調査研究の対象としても見捨てられてしまっている感じがします。でも、かつて確かにここに兵士が配されて緊張しながら監視の目を飛駒に配っていたのだと想像するのもまた山歩きの楽しみでもあります。

下山はどうする:
岩尾根の下山
ここからこの方向に尾根通しを歩くのは地形図首っ引きでもとても迷いやすく、尾根を歩くというより尾根をはずして斜面を下る感じになります。尾根らしい地形をたどるとこれは支尾根となってしまいます。
しかし、前回登ったときに注意深くルートを探って尾根通しを歩きましたが、この先はまったく面白みのない尾根で途中でうんざりして作業道を見つけて下山してしまった経験があり、今度はその支尾根を下ってみることにしました。俯瞰した印象で赤松を配した岩尾根らしく、これは楽しそう。
下降にかかるやいきなり藪に突っ込み悪戦苦闘が始まりました。想像した通り岩がちの急下降です。徐々に藪が薄くなると今度は逆落としの急下降でたまらず岩角と灌木をたよりに四つんばい、楽しい山遊びとなりました。こんな近所にこんな場所があるなんて、まだまだ近場の山も歩ききってないなぁ。
下りきると作業道があり名草林道までは植林地の中をほんのわずかです。

さて、なんという山城:
以前この遺構に登ってほどなく、名草林道にどなたかが「名草城」と示す板きれをつけたため、ずっとあれが名草城と思っていました。しかし、最近サイトを巡っているうち、名草城は別の位置にあることがわかりました。ほどなくその板きれもはずされたのですが、やはり間違いに気付いてはずしたのかも知れません。
では、いったいなんという山城なんだ?
くまなくサイトを巡ってもどうもはっきりせず、図書館で郷土史の文献を漁ってみました。(郷土史だけまとめて別室に揃えてありました。古い文献はコピーして製本されているため安心してページを繰れます。至れり尽くせり。毛筆の手書きやらガリ版やら、昔から地元の知識人というか好事家というかそのエネルギーはもう感動モンです。)
足利の城趾、古墳、遺跡などが地図とともまとめてある文献に行き当たり、その結果、「駒戸山城」ということがわかりました。(この名前はサイト上でも見かけましたが、一覧の一角に名前があっただけでどこかもわかりませんでした。)
しかし、短い説明で、時代や城主などはわからずじまい、気がかりな宿題が増えちゃった感じです。

名草巨石群:
このWebページどこにも名草巨石群の写真がないぞ、というわけで帰りに一枚撮ってきました。
名草巨石群