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助戸山すけどやま(115.8m) 足利市街の真ん中に緑のミニ山脈 
(2002-1-19)(こちら)
足利は三方を山に囲まれた緑の多い街で、周辺の山々にはそれぞれハイキングコースが開かれて多くのハイカーで賑わっています。そんな中で市街地のまんなかにポコンと盛り上がった緑のかたまりが助戸山です。市街地との標高差は100mにも満たないのですが、ほぼ1本の尾根筋となってミニミニ山脈といったところです。かつては典型的な里山でしたが、都市化が進むとともに遺棄されすっかり荒れ放題となってしまいました。一部(雷電山)は近所の人たちの犬の散歩コースとして歩かれているものの、それ以外は藪に覆われ踏み込むのも困難なありさまです。
ところがここの尾根筋に遊歩道を通すという話が出てきて、昨年から一部整備が始まりました。私たちハイカーには最低限の整備はありがたいのですが、どうも周辺のハイキングコースを見ると、これでもかといじりすぎるきらいがあり、ちょっと心配です。
そこで、整備の状況を確かめながら、まだ未整備の部分を歩き納めようと思い立ち、冬の半日をかけてのんびり歩いてきました。
じつは山とんぼは助戸山育ち、ガキの頃は全山が我が庭のようで、どこの木にクワガタがいるか、どこに栗が実るか、どこに弓矢にちょうど良い篠竹が生えているか、なんでも知っていました。そのころから数えてじつに45年ぶりの全山通し歩きです。

(2008-2-24)(こちら)
久しぶりに雷電山参道から南北往復しました。山道はさらに整備が進んでトレーニングや散歩に最適なコースとなっていました。
樹林はいよいよヒサカキ、シラカシへの遷移が進んで南東側斜面はすでに広葉常緑林と化していました。
初めて気付きましたが、なんと尾出山がしっかり展望できる位置にありました。大鳥屋山、横根山、熊鷹山、丸岩岳など意外に安蘇の山々が見通せました。

 
    岩かげにひっそりとたたずむ天照大神の神社
  
      調査中の助戸山3号墳
 
    アカマツ、コナラの明るい尾根道
【日程】 2002年1月19日(こちら)
2008年2月24日(こちら)
2022年4月9日 (こちら)
【山域】 安蘇(最前衛)
【天候】
【地図】 1/25000足利北部、足利南部


【アクセス】 足利市街のやや東寄り。市街地の見通しの利く場所どこからでも富永公園の特異な建物が見えます。
どちらから歩き始めても同じですが北端の切通しから取り付きました。南東側にコンクリート階段があります。
【駐車地】 駐車場には困ります。新山町の斎場の駐車場をお借りするのがいいかも。(登山者用駐車場ではありません。)
渡良瀬川河川敷駐車場から歩いてもたいした距離ではありません。渡良瀬川堤防からミニ山脈の全容を眺めることができます。
【コース】 助戸新山切り通し - 天照大神の小祠 - 一番山 - 雷電山 - 助戸山3号古墳 - どんどん山 - 富永公園 - 定年寺墓地
約1.5時間(整備が進めばファミリー向き)
【メモ】
(2002-1-19)
未整備の部分は荒れ放題ですが自然に帰って行く遷移を見られます:

切通しからコンクリート階段を上がるとアズマネザサの切り開きの中をはっきりした踏み跡が登って行きます。たぶん整備の準備なのでしょう、杭が所々打ち込んであります。ほどなくここも歩きやすくなることでしょう。
あたりの林は目を覆うばかりの荒れ放題、マツクイにやられたアカマツが累々と折り重なって惨憺たるありさまです。しかし、それも子供の頃に見たきれいなアカマツと雑木の林が印象にあるからで、じつはこれも自然の移り変わり、つまり人の手が入らなくなって常緑樹に覆われていく遷移を見られる教科書のような光景です。
ヒサカキ、シラカシ、ヤツデ、アオキ、ヒイラギなどの幼樹が元気いっぱい育っています。ヤツデやアオキはきっと周辺の庭木の種子を鳥が運んだのでしょう。この辺にはないツゲがあるのも鳥のいたずらのようです。

三角点からは整備された道:
奥の院を過ぎ、三角点を見ると、ここからは整備された道となりました。三角点の標高は115.8m、東京の海抜0mからはるかに80kmもやってきて(麓が)わずかに30mという関東平野ですが、いよいよここから安蘇山塊が始まるその地点と思うと100mそこそこの標高もちょっぴり誇らしげでもあります。
もちろん関東平野が目の前いっぱいに広がっています。
テーブル、ベンチがあって一休みにちょうど良い場所になっていました。木の間越しには日光や足尾も望まれ、近くには行道山〜織姫山のハイキングコースの尾根が対峙して一望でした。

雷電山:
ほどほどに整備された尾根道はアカマツとコナラの明るい尾根通しの気持ちの良い道です。まだ整備途中のため片づけが終わっていない倒木がちょっと目障りですが、いずれきれいになるのでしょう。
やがてこのコースの中心、雷電山に飛び出しました。雷電神社、鏡石、東屋、トイレがあります。ここからの展望はなかなかでした。東に足利東部の大坊山、大小山方面(残念ながら大坊山、大小山とも山頂は山蔭になってしまいます。)、西に行道山、大岩剣が峰、両崖山、織姫山の一連のコースが間近です。南は太田金山が意外な近さです。天候が良ければ秩父の山々、富士山も望めるのですが、ぼんやりした空で残念でした。

助戸山三号墳:
雷電山から一コブ越えると墓地を左手に見るようになり、ちょっと歩くコースとしてはなんだかなぁですが、鞍部には調査中の古墳があります。(助戸山3号墳) 小さいながら前方後円墳だそうで、そう言えばガキの頃このあたりは篠竹に覆われたわずかな盛り上がりがありました。
次のコブがどんどん山。昔、この山頂で跳ねると足下がドンドンと響いたので「どんどん山」と呼ばれていました。古墳の石室でもあったからなのでしょうか。
富永公園で衝撃を受ける:
ここからは墓地の脇となってしまうので、コースはせいぜい古墳見学までとなるのでしょうが、尾根はさらに続いて最後のピークが富永公園です。
明治の世、一介の農家の長男から身を起こし煉瓦事業に成功して県会議員となった富永金吉翁がここに塔のような建造物を中心に公園を造り近隣住民の憩いの場としたらしいです。
その石造りの塔というのが、改めてよくよく見ると西洋の要塞のようでもあり、ちょっと不思議な塔です。最上部が6角形となって金吉翁の「金」の字が金色に浮かび上がっています。翁の成功者としての自慢な気持ちが手に取るように理解できます。(^^;
かつて尾根通しに続いていた山道はすっかり消えてしまっているので、藪をついて登ってみるとそこには衝撃的な光景が待っていました。翁の彫像、一代記を彫った碑、レトロなガス灯、すべてがあたかもジャングルの遺跡のように蔓に巻かれ半ば崩れ藪の中に埋没しかかっていたのです。傍らにはかつての人家が倒壊寸前となっていました。
忘れ去られるというのはこういうことなのか、とすっかり衝撃を受けた山とんぼは、その先の不思議な塔の探検を諦めてまた来た藪をゴソゴソと引き返したのでした。
帰路は定年寺の墓地を通って車道に出てから山際の道をのんびり回って駐車地に戻りました。

    富永公園の不思議な塔

(2008-2-24)
東山ハイキングコース:
雷電山参道から登りました。しっかり石段が整備され、なんと「東山ハイキングコース」の標識と説明板まで建っていました。ここでは地元に従って助戸山の呼称を用いていますが、足利の旧市街から見て東にあるので旧市街市民は東山と呼ぶこともあります。
雷電山から北東へ切り通しの手前山頂まで、そこから引き返して雷電山を通り越してどんどん山まで、また雷電山に戻って参道を下りました。
雪雲で遠望はききませんでしたが、意外にも安蘇山塊の山々の展望が得られました。子供の頃にはそれらの山々に興味がなかったので気付いていませんでしたが、尾出山や横根山などが真正面でした。
以前から雷電山の奥の院と思って疑わなかった小祠は中を覗いたら天照大神の札が祀ってありました。どうやら雷電山との関連はなさそうです。
助戸3号墳は調査も終わってまたただのモッコリに戻っていました。土嚢がそのまま残って調査の跡を示していました。

      雷電神社登り口 
 
      頂上鏡岩(向かいは大坊山方面)

(2022-4-9)
整備された尾根路:
雷電山から関東平野

すっかり整備が行き届いてファミリー向きのコースになっていました。
ちょうどヤマツツジが見頃で新緑の中に深紅のかたまりがあちこちに群れ咲いていました。
雷電山頂上はほとんど公園化されて八重桜があと1週間というところでした。
群れ咲くヤマツツジ

【便利帳】 トイレ:雷電山頂上
コンビニ:トンネルの西側500mほど